こんにちは! かぼすです。
還暦を過ぎる頃から大豆づくりを始め、今では本当のみその味を伝えるため講師としても活躍する臼井スミ子さんが、12/4放送のテレビ朝日「ごはんジャパン」に出演しました。
そこで、臼井スミ子さんのプロフィールや経歴、夫や家族、養豚や大豆作りをはじめるキッカケについて気になり調べてみました!
それでは一緒に確認していきましょう♪
《 目 次 》
1.臼井スミ子さんのプロフィール、経歴について
2.臼井スミ子さんには夫や家族はいるの?
3.臼井スミ子さんが養豚や大豆作りをはじめたキッカケは?
1.臼井スミ子さんのプロフィール、経歴について
名前 臼井スミ子(うすい すみこ)
神奈川県南足柄市 生まれ
南足柄市の農家に生まれた臼井スミ子さんは、22歳で結婚して厚木市で暮らし始めます。
夫が病に伏せてからは、夫と創業した養豚場を自身で切り盛りしました。
2006年に食肉販売の許可を得て、直売所のうすいファームを開きます。
60歳の頃、営んでいた養豚場を長男へ引継ぎ、臼井スミ子さんは大豆栽培をスタートさせます。
津久井在来大豆の栽培は、2000年から地域の女性部の仲間と一緒に始めました。
農家に生まれた臼井スミ子さんは、農作業を手伝いながら育ったのでしょうね。
結婚して養豚場を夫とゼロからスタートさせ、着実に育てているのが素晴らしいですね。
手を抜かないようにと父親からの言葉を守り、つねに美味しいものを食べてもらいたいという気持ちが臼井スミ子さんの原動力になっているのだと思います。
2.臼井スミ子さんには夫や家族はいるの?
22歳で夫・利次さんと結婚した臼井スミ子さんは、3人の子どもに恵まれました。
腎臓を悪くした夫の闘病生活は30年に及び、その後亡くなります。
現在は孫娘の家族を同居し、ひ孫は8名を超えさらに増えていると思われます。
「子育ては趣味」だと言う臼井スミ子さん。
子どもはたくさんいた方が良いと目じりを下げ、自身の子育ての経験を活かしながら嬉しそうな表情を浮かべるそうです。
子どもや孫の世話をしながら、大家族に囲まれている姿が目に浮かびます。
人と関わり、本物の美味しさを伝え続けることを通して、いつも人を喜ばせている臼井スミ子さん。
そんな人柄が、愛され続ける理由なんでしょうね。
3.臼井スミ子さんが養豚や大豆作りをはじめたキッカケは?
食生活の大切さを母親から学んだという臼井スミ子さん。
結婚した夫と養豚場の臼井農産を創業しました。
1977年には母豚300頭規模の経営に成長します。
60歳で長男に養豚場を引継いでからは、やりたいことをやろうと農業を始めます。
臼井スミ子さんが大豆栽培を始めたのは、夫・利次さんの病がキッカケです。
腎臓を悪くした夫は、食欲がなくてもみそ汁は喜んでくれたため、原料の大豆から自分で作りたいと60歳になる頃に大豆栽培をスタートさせたのです。
当時は地場産の大豆がない状況でしたが、津久井在来大豆の栽培に成功。今では年間4~5tを収穫する程になりました。
本当のみその味を伝えたいという気持ちから、臼井スミ子さんは15年以上みそ作りの講師を続けています。これまでに教えた人は1000人を超えます。
みそ作りの基本は、原料をしっかりと栽培すること。
亡き夫と創業した養豚場の臼井農産では、津久井在来大豆を栽培し、麹も自社のものでみそを仕込みます。
2016年頃からは、農業の楽しみを味わってほしいとの思いから、荒廃地を利用した体験農園も開催しています。
人のために自分ができることをしていく、喜ぶ人の顔を見ると自分もうれしい…
必要とあらばゼロから活動を始めるバイタリティーに、力強さと頼もしさを感じます。
そして集まった人と一緒に楽しみを分かち合う…とても素敵な生き方だと思います。
まとめ
今回は、臼井スミ子さんについて気になりまとめてみました。
その時々で自分ができることを懸命にやっていく姿に、勇気と元気をもらえました。
人を愛し愛される、人の輪が広がっていく、活動が渦のように大きくなっていくイメージが浮かび、
人間の素晴らしさを感じました。
これからも人や食と関わりながら、臼井スミ子さんの魅力を伝えていってほしいと思います!
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